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​ディナの日記#9                                                                                                                                                 2018.2.19
今日はアメリカ合衆国の初代大統領ジョージワシントンと16代大統領エイブ・リンカーンの誕生を記念した祝日です。二人とも2月生まれです。
二人の大統領に思いをはせるとき、私と父が41代大統領のジョージ・ブッシュのために製作したこの美しいダブルネックのことを思わずにはいられません。
さらにこのギターのネックにはミスタープレジデントと刻印されたインレイが埋め込まれていました。
このギターの製作にはとても真剣に取り組みました。そしてその評判が広まるのはとても速かった。テレビ局のNBCの11時のニュース番組が私たちに連絡を取ってきて父と父と私が作った大統領のギターについてインタビューをしたいと申し込んできました。私たちの工場はその時ノースキャロライナにあり小さい公会堂が敷地の中にありました。
それで父はそこで大統領のギターを披露するためのささやかなコンサートを企画することにしました。
全ての準備を整えて11時のニュースのスタッフもすべて準備を完了していました。すべてが素晴らしく行きそうでした。父の作った歌に歌詞が「あなたを取り囲む世界の全てが煙に包まれた時」という歌があり、そこで私は煙幕を出す機械のボタンを押すことになっていました。
私はただそうしただけですが、煙幕の機械は止まりませんでした、。どうやって止めてよいのかもわからず、電源を抜いても煙は止まりませんでした。
私は煙で観客を公会堂から追い出してしまいました。煙を取り除く時間は永遠にかかり、ニュース番組のインタビューはキャンセルされてしまいました。モズライトギターにとってついてない一日でした。

モズライトフォーエヴァー
ディナ・モズレー

ディナの日記#7 2018.1.19


クリスマス、お正月の休暇はすっかり過ぎて、2018年の仕事の始まりです。私は工房を念入りに掃除しました。
作業机を掃除していると、その間、自分にとって初めての作業机のことを思い出さずにはいられませんでした。

私が初めての作業机を与えられたのは8歳の時です。それは私が特別な才能を授かった子供だったとかではなく、ただお手伝いがしたかった子供だったというだけです。上手にお手伝いができました。
80番の紙やすりをつかって、棚いっぱいの仕上げが終わり出荷を待つばかりのギターをこすりました。父が入ってきてそれを見た時の顔を私は決して忘れないでしょう。父は感嘆した言葉しか発せられませんでした。
すぐさま、私を研磨を行う作業区に連れていき、作業机の前に座らせました。これは本当におまえの作業机だよと伝えられ、仕上げ前のギターと研磨工程が終わったギターを持ってきてくれました。
仕上げ前のギターをサンディングを終えたギターのようにしてみなさい。と言い渡されました。
それこそが私がやってみたかったことです。指から血が出るまでやすりをかけました。それ以来いつでも工場で、作業机のまえに行きサンディングをするときは、決してうまく処理できたとは思わないのですが、本当に、本当に仕上がったギターを誇らしく感じました。
それではまた次回をお楽しみにお待ちになってください。

モズライトよ、永遠に
ディナ・モズレー

ディナの日記#6 2018.1.6

今年の一月一日は、そしてこれからもずっと,悲しみに包まれる一日です。

1993年の大晦日に私の息子デビッド・ブライアン・エアーズ、ブライアン・モズレーといったほうが通りがいいですが、アルコールの過剰摂取によって1994年の元旦に目を覚ますことなくこの世を去りました。

この日のためにブライアンへの追悼として、私はクリスマスからお正月にかけてキャンドルに灯りをともしこれを
ブライアンのキャンドルと呼ぶことにしています。

ブライアンは紛れもなくモズライトギターの継承者でした。私がまだとても若かった時に授かった子です。

ずっと、彼の祖父、つまりセミー・モズレーが彼が知る唯一の父親でした。ブライアンは最高のギターを作り上げることができました。父が私にギターの作り方を教えたのと同様に彼にもそうしたからです。

ブライアンがもし今日生きていれば、モズライトがどんな姿になっていたかは神様だけが知っているのでしょう。
彼が今
生きていれば42歳になっています。私は息子の死を乗り越えられそうにありません。ただその喪失感と共に生きることを学びました。
父のものだけでなくブライアンの墓石まで面倒を見てくださった岩堀典明氏に心からの感謝の気持ちを申し上げます。

モズライトよ永遠に
ディナ・モズレー

ディナの日記

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ディナの日記#8 2018.2.8

昨日、ある心配なニュースを聞きました。古くからつきあいがあり、親しい友人であるノーキーエドワーズの体調が最近すぐれないとのことです。
彼の健康を祈る間、ノーキーとの少し変わった出来事を懐かしく思い出さずにはいられませんでした。
この思い出はモズライトがニューヨークのマンハッタンで行われたビンテイジギタートレードショーに出展した時のことです。
ノーキーエドワーズはカーズのエリオット・イーストンと一緒にモズライトが招待したプレイヤーでした。トレードショーの始まりは幸先が良かった。多くのモズライトに興味を持った来場客でいっぱいでした。そして、音楽のデモ演奏の部分は驚異的なものでした。
エリオットもとてもよかった。でも、ノーキーは(エリオットを悪く言うつもりはありませんが)観客の度肝を抜きました。
ただ、そこに立っているだけでいともやすやすとこれまで誰も聞いたことがないスケールの大きい驚異的な演奏をする人を私は彼
以外にかつて誰も知りません。
全てがうまくいっていたと思いきや、ショーの2日目にロレッタのお財布が盗まれました。
即売会で得られたお金はそのお財布の中にありました。それでもショーに支出するに足るお金は三日目に十分稼ぎ出しませたが(笑)

ショーが終わって。ローディーが機材を積み込んでいる間、ノーキーと私はバックステージのプールテーブルでビリヤードに興じて
​いました。
私がなんとかノーキーをやり込めてやろうとしていたところ、ノーキーは私のお財布を隠しました!
私がお財布を取りに行くとそこには、当然私のお財布はありません!
私も最初は誰かが私のお財布をひったくっていったのだろうと思いました。私はとても混乱してしまい、ノーキーはその間
決して笑い出さないように懸命でした。
彼はついにこらえられなくなり、大笑いし始めました。
彼を知らない人にとってノーキーは、落ち着きがあり静かな人物です。
彼がその時のように大笑いする姿は私にとっては忘れられるものでは

ありません。

ノーキー、あなたはとてもいい人です。早く良くなって!

モズライト フォーエヴァー

ディナ・モズレー