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Advice

Dana's Journal

ディナの日記#12
#10 続編
ディナの日記#11で、父と私とクリスがオクラホマシティーまで車中旅行に出かけたことをお話ししました。真新しいキャンピングカーで私は2,3日を友人たちと過ごし、およそ1345マイル(2165km)ほどのカリフォルニアのベイカーズフィールドに帰宅するところでした。
前回のお話で、キャンピングカーに備え付けのコンロがちょっとだけガタガタ音を立てていたことをお話ししました。今やコンロはけたたましくガタガタ音を立てています。どれほど大きい音だったかというと怒鳴りでもしない限り自分で話している声が聞こえなくなるほど大きい音でした。わたしはガスレンジを取り去ろうとしましたが無駄でした。毛布をコンロの上に積み重ねて音をくぐもらせようとしました。これはうまく行きましたがコンロのキャビネットもガタガタ音を立てていたのです。

テキサスのアメリオまで来たときはベッドが落ちてきて父の頭の真上に命中しました。
私たちはそのベッドを起こして元の位置に戻しましたがしばらくするとそれはまた倒れてくるのです。


ニューメキシコ州のアルバカーキに着く頃にはエンジンからの熱がキャンピングカーの内側までやってきて父の脚を焦がし始めました。それで、私たちはエンジンカバーと父の脚の間に枕を差し込んだりしてみました。これで話が終わればいいのですが、実はそうではなかったのです。

このお話が学校の夏休みに当たっていたことは覚えていますか?華氏100度(摂氏37.7度)を超える大変な暑さでした。アリゾナ州のフラッグスタフに着くころにはエアコンが熱風を吹き出しはじめました。まだ480マイル(772km)も車を走らせなければなりません。これまで経験したことがないほどのみじめな480マイルでした。特にモハブ砂漠を通り抜けるときは。

家に着くころにはコンロは相変わらず、ほかの全てのものまでガタガタ音を立てるまでになっていました。窓、備え付け品、あらゆるものです。異常でした。エンジンカバーからの熱風はあまりにひどく父の脚に跡が付くほどで、ベッドは全く元の位置に戻らなくなっていました。それで父は頭の上に枕を載せてベッドは彼の頭の上で止まっていました。彼に頭痛を与えることなく。
本当にこの時の写真があったらよかったのですが、その様子はみなさんのご想像にお任せします。

次回をお楽しみに。

モズライトフォーエヴァー

ディナ・モズレー

ディナの日記#10 2018.3.7
今回の日記を書くにあたって、どんなお話をしようかと、これまでのディナの日記をざっと眺めてみました。これまで父の奥さんについてすべて話してきたつもりでしたがクリスについてはまだでした。
父が4回も婚姻したことはご存知かと思います。
最初の配偶者は、1950年代に私の実母であるヴァージー・ガスウェイと、二回目は60年代にダイアン・ロバーツ と、3回目は70年代にクリスティーナ・バードそして80年代にロレッタ・バリアーと婚姻関係にありました。
今日私がみなさんにお話ししたいと思っているのは70年代に起こった話です。父はクリスとはそう長く夫婦ではありませんでした。

それは夏でした。私はいつも夏が来るのを心待ちにしていたものです。というのは父が私とのひと時を過ごすためだけにいつも一か月ほど費やしてくれたからです。その年、父は真新しいキャンピングカーを私たちと新しいお嫁さんであるクリスのために
買ってくれてそれでオクラホマの私たちの古くからの友人ショート家を訪ねるために出かけました。アリゾナのフラッグスタッフあたりでコンロががたがた言っているのに気が付きました。でもそれについてはあまり考えず、とにかく無事オクラホマにたどり着きました。
クリスと父は新婚だったので、ジェリーとドリス・ショートに私を預けて3日ほど出かけました。ジェリーとドリス、そして二人の息子、スティーブとデヴィッドはカントリーメンというゴスペル音楽グループを組んでいました。オクラホマのバドチェンバース教会で演奏していました。

礼拝が始まる前の午後、スティーブと私は教会の天井裏を探検に出かけました。そこで私は梁から滑って落ちてしまったのです。
私の両足が礼拝堂のど真ん中で天井からぶら下がっていました。それほどひどくはなかったと思うのですが、ちょうどその時教会ではみんなが祈りをささげている最中でした。気づかれることなく、どうやってそこから脱出したのかわかりませんが、なんとかなりました。だれにもそのことについては話しませんでした。その後、みんなが天井の天板に空いた二つの穴にどれだけ経ってから気が付いたかはわかりません。
クリスと父が翌日の朝帰ってきてくれたらどんなにうれしかったことか。(続きます)
これはとても長い話になるので、次回に持ち込みます。

モズライト・フォーエヴァー

ディナ・モズレー

デイナの日記 #11                                                                                                                                      2018年3月22日
デイナの日記#10から続く話を終えようと思っていたのですが、ごめんなさい、でも、面白おかしい旅のお話はちょっと最近の悲しい出来事を考えると相応しくないかなと思いました。旅のお話は#12で続けます。
今回の日記は、ノーキー・エドワーズ氏を追悼するものします。

ノーキーは、私がこれまで知っているギタリストの中でも特に素晴らしいギタリストの一人でした。彼は、やさしく、穏やかな話し方をする、気さくでおおらかな性格の男性でした。父(セミー・モズレー)とノーキーは最も親しい友人同士でした。ノーキーは、私の父が亡くなるとき病院で父に寄り添ってくれていました。
今は、二人は再会し周囲を気にすることなく思い切りギターを大きい音で弾くことができます。きっと大きい音を出すギタリストがそこには他にもたくさんいるでしょう。
ジュディさんには、私は二人の事が大好きなことをお伝えしたいと思います。大切な人を亡くしたことに心からお悔やみを申し上げます。私の思いも祈りも慎んでお送りいたします。
ノーキー、本当に会えなくなって悲しいです。

ノーキー・エドワーズ
1935-2018